光太郎の好んだレンギョウの花にちなみ、この日を連翹忌と呼びます。
今年は、松本楼(日比谷公園)での連翹忌の集いに参加できませんでした。
代わりに光太郎を偲び、岩手県花巻市にある高村山荘の光景を思い返しました。
7.5坪のこの山荘で、光太郎は農耕自炊をし戦後の七年間を過ごしました。
山荘の150メートル奥には、彫刻や書を展示した高村記念館があります。
高村記念館を管理している高橋愛子さんは、一人で訪れた私に光太郎のエピソードを語り聞かせてくれました。
☆ 東京からこの地に疎開した当初、光太郎は高橋さんの家に宿泊。ある日、当時まだ子供だった高橋さんが家に帰ると、玄関先に見たこともないような大きな靴があり、それが光太郎の靴だったこと。
☆ 光太郎は、高橋さんのお母様お手製の漬け物や餅など、郷土料理をなんでも喜んで食べたこと。
☆ 吹雪の日、あばら屋の山荘では寝ている顔にも雪がかかり、光太郎は手ぬぐいで頬かぶりをして寝ていたこと。
☆ 山荘と記念館の中間地点にある智恵子展望台は、散策中の光太郎が、この丘の頂で 「チエコー チエコー」 と亡き妻の名を呼んだことが、その名の由来になったこと。
生前の光太郎に接したことがある高橋さんの話に、等身大の光太郎を見た思いです。
高村記念館の入口には、光太郎の書のコピーが掲げられています。
発見する
駐車場の茶店では、光太郎が好きだった「名物 光太郎そば」が食べられます。
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