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岐阜市は、真夏日でした。
午後5時になっても、まだ30度を超えたまま。
急に暑くなって、身体の調整機能は対応が遅れ気味。
気だるく感じた方もおられたのではないでしょうか?
そんな時、目に入る若葉は一服の清涼剤のようです。
初夏といえば、この句です。
『 目には青葉 山ほととぎす 初鰹 』 山口素堂 (1642~1716)
目に青葉・・・このほうが収まりがいいのに、字余りになっても 「は」 を入れた理由は?
とりとめもなく思索しています。
まいど! なるほど。違和感に引き止められ、「目には」のあたりに意識が停滞し、結果、青葉の強調になりますね。どこか海辺の町で初鰹をいただきたい!ものです。
投稿情報: tara | 2009年5 月26日 (火曜日) 午後 06時13分
山口祖堂の俳句、確かに「目には」は、字余りです。 しかし、敢えて字余りとして、読み手に違和感を覚えさせることにより、作者の目に鮮明な青々とした青葉が映っている状況を伝えたかったのではないでしょうか?
あてずっぽう者より
投稿情報: イナッチ | 2009年5 月20日 (水曜日) 午前 11時26分
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まいど!
なるほど。違和感に引き止められ、「目には」のあたりに意識が停滞し、結果、青葉の強調になりますね。どこか海辺の町で初鰹をいただきたい!ものです。
投稿情報: tara | 2009年5 月26日 (火曜日) 午後 06時13分
山口祖堂の俳句、確かに「目には」は、字余りです。
しかし、敢えて字余りとして、読み手に違和感を覚えさせることにより、作者の目に鮮明な青々とした青葉が映っている状況を伝えたかったのではないでしょうか?
あてずっぽう者より
投稿情報: イナッチ | 2009年5 月20日 (水曜日) 午前 11時26分